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アジア散歩

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はたして偽善か親切か

カンボジアには、たくさん(多すぎるくらい)のボランティア団体や財団が存在する。
プノンペンには5万(誇張)とオフィスがあったし、ここバタンバンでも毎日車を見かける。

世界のNGOの活動資金の半分以上は、 各国政府から出ているという。
非政府団体なのにおかしいね。(中には金儲けしたり、国によっては、
保護という名目で難民を利用してテロ訓練させる団体もある。)

*すべての団体を否定してるわけではありません。
実際現場で活動されてる方々は賞賛すべきと思います。

HクリントンがWorld Visionに寄付したお金は$2,000,000,000
これだけあったら世界中の貧しい人救えそうですが、、、。
こういう団体の現場ではとんでもないことしてます。
worldvision,usaid
How NGOs are Being Used by Missionaries


Maddox Jolie-Pitt Foundation 
bttanb (13)


バタンバンにあるAジョリー&Bピット基金
こういう大物ほど信用できない。
>Angelina Jolie Shills for Globalist




ベトナム戦争とカンボジア内戦

シハヌーク統治時代
カンボジアは1949年にフランス領インドシナからの独立を認められ、ノロドム・シハヌーク国王によって統治されていたが、王政に対抗する国内派閥の抗争があり、国内には不安定要素を抱えていた。1965年2月にアメリカが北ベトナムの空爆に踏み切ると、シハヌークは対米断交に踏み切った。

1970年3月のクーデター
シハヌーク国王がモスクワと北京を訪問中の1970年3月18日、下院で国家元首としてのシハヌークを退けることが満場一致で可決された。将軍ロン・ノルは非常時権力を与えられて首相となり、10月にクメール共和国の樹立を宣言した。新政府はアメリカを後ろ盾に権力の譲渡の有効性を強調し、アメリカをはじめとする諸外国に認められた。

1970年4月、ロン・ノルはアメリカ軍のカンボジア侵攻を許可し、農村部や地方都市への空爆が強化された。投下された爆弾量は第二次世界大戦でアメリカが日本に投下した総量の3倍にのぼり、数十万人の農民が犠牲となった。またタイをベースとしていたアメリカ爆撃機が、ベトナムに爆弾を投下し、カンボジア経由で帰還する際に、余った爆弾をカンボジアに棄てて帰ったとも報告された。その爆弾の中には、ボール型の多くの地雷を詰めたタイプのものもあった。爆撃からわずか一年半の間に200万人が国内難民と化した。

この結果、反ロン・ノル勢力である共産主義勢力クメール・ルージュの伸張を招いた

ポル・ポト時代の飢餓と虐殺による死者は70万 - 300万人とも言われているが、カンボジアでは1962年を最後に国勢調査は行われておらず、そのうえポル・ポト以前の内戦・空爆による犠牲や人口の難民化により、元となる人口統計が不備であり、こうした諸推計にも大きく開きが出ている。

ベトナム戦争中にカンボジアもラオスもアメリカ軍によって空爆されてた。
ということをカンボジアに来るちょっと前に知りました。






孤児院は観光名所ではない!

orphan.jpg


今やカンボジアを訪れる旅行者の間で人気スポットの孤児院
どうやらツアーらしきものもあって”ボランティア”体験ができるらしい。
たった2,3日の訪問で資格も経験もない人がいったら迷惑だろう。

Orphanage tourism
Orphanages in Cambodia are Not Tourist Attractions


長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。



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